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マルクスは死刑に反対なようです。

こんにちは。
安っぽいアニメのタイトルみたいですが、今回はマルクスのお話。
というのも、マルクスの死刑に対する考え方に関して考察というかコメントした論文なのか寄稿なのかわからない文書を目にし、短かったから興味がわき読んでみたので。

読んだもの

「知られていないマルクスの死刑についての見解」(ホセ・ヨンパルト)
著者のホセ・ヨンパルト先生は上智法哲学者で、法学部ならほとんどの人が知っているであろう刑法学者の団藤先生とお知り合いだった方らしい。

概要

マルクスの死刑に対する考え方を新聞寄稿を通じて明らかにしたもの。
死刑制度をもつ国が珍しくない時代でありながらマルクスが進歩的な視点を持っていたことが指摘されている。
この寄稿は非常に短いので、なんかいろいろ調べてみた。今回は調べてみたことを置いていく感じで。

結論

マルクスは死刑に対して「野蛮行為」とまで言って反対している。がしかし、その理由はわからなかった。

詳細

そもそもマルクスって誰なの?あとマルクス主義って何さ。

マルクスって誰よ。

カール=マルクスは,マルクス主義を打ち立てた思想家にして革命家,そして経済学者。ユダヤ人の両親の間に生まれた。元々はプロイセンの人で,のちにイギリスで活動した。
プロイセン→フランス→イギリスと転々とし,人生のほとんどを亡命者として過ごしたファンキーな経歴の持ち主。家政婦を雇うどころか孕ませた。がっつりカネで人のこと使ってるじゃん
体格は短足胴長で恰幅が良いと娘婿に評されている。彼は病弱ではなかったが,不規則な生活を送っていたのでのちのち病気がちになる。そして『資本論』一巻を執筆している時にはお尻のおできに苦しめられており,痛みのあまり座っていられず,エンゲルスに「お尻の痛みが著作の憎しみ表現に繋がっているんじゃないのかw」とからかわれたところ,マルクスは「ブルジョワジーは死ぬまで俺のおできのことを覚えておけよ。クソどもが。」と応じている。わけ分からない。ブルジョワジーに自分のお尻事情を押し付けるな。
また,彼は新陳代謝機能がぶっ壊れていたのにもかかわらず酒好きヘビースモーカーであり,「資本論の売り上げで葉巻代を回収できなかったw」などと述べており,借金取りに追いかけ回される日々の中で節約のために安物の葉巻を吸って体調を崩しドクターストップをかけられた。
ギムナジウム(ドイツの中等教育機関。こっちでいうところの中学高校に相当…?)の卒論や大学入学後に書いた詩などは酷評され,最初に入学したボン大学で好き放題やった結果,父に厳格なベルリン大学へ移るよう怒られた。だがしかし厳格なベルリン大学に移った後も,ボン大学時代と同じく好き放題やって暮らした。その結果,父親に「他の学生よりもカネ使うし,挙句借金までしやがって」とぼやかれた。父親のお小言はマルクス家のお家芸
父親は弁護士であり,病弱なこともあって,マルクスには法律職で稼いで欲しかったらしい。父が亡くなり,母がマルクス家7人の子どもを養わなければならない状況になったが,早く働いて欲しいという母の願いも虚しく,法律に見向きもせず哲学にどハマりしていたマルクスはさらなる仕送りを要求したため,家族仲は険悪になってしまった。
ボン大学時代に幼馴染で貴族の娘イェニーと結婚した彼は,ベルリン大学を出てから各地を転々とする人生を過ごした。各地で権力に噛み付く主張を繰り返し,彼の生み出した思想は国家の形成や哲学,経済学など様々な分野に多大な影響を及ぼしたが,妻や子どもに先立たれた後1883年にイギリスで没した。

マルクス主義とは

マルクス主義とは,端的にいうと,階級を無くして協同社会を作ろうという考え方のこと。もう少し言うと,労働者階級(プロレタリアート)はその労働力を提供しているが,資本家階級(ブルジョワジー)は労働者に支払う給料以上に労働者を働かせて余剰の価値をタダで得ている。そんな状態にこれ以上労働者を縛り付けておくのではなく,ブルジョワジーから権力を奪取して,資本を社会の共有財産にすべきである。そうすれば,労働者は解放されるので階級格差も階級そのものもなくなり,階級支配のための政治権力までもがなくなり協同社会が実現できるよねという考え方。

マルクスの主張を取り入れた国は?

いわゆる旧ソ連諸国。
階級をなくして階級支配のための政治権力の消滅を目指していたマルクスだが,それがマルクス・レーニン主義などの下では皮肉な結果を招いた。
まず一党独裁の時点でお察しではあるが,必ず特権階級が発生する。はい終了。
そして,一党独裁の社会では,個人が対等であることなどまずあり得ず,異議を唱える者は粛清される。そもそも裁判に付されるかも怪しい中で死刑になったり収容所送りになり強制労働をさせられたり。もうダメ。
ところが,マルクス本人は死刑を是としていなかった。

で、マルクスの死刑に対する見解とは?

マルクスは1853年2月、New York Tribuneにこんな寄稿をしている。

死刑に反対して
死刑を擁護するために最も多く提示されてきたのが、「矯正」と「威嚇」を目的とする便法である。しかし、如何なる権利があって一人間がもう一方の者を「矯正」する、あるいは「威嚇」する目的を持って処罰できようか?
…(中略)…
ヘーゲルは、犯罪者を受動的な物体、正義の奴隷と目する代わりに、彼を自由で自律的な存在の等級に引き上げている。しかしながらここでもまた、ドイツの理想主義は、既存社会の諸法を形而上学的な覆い物をもって飾り立て、またかようにしてそれらを是認しているだけであることが容易に見て取れる[。]
…(中略)…
実は社会にとって刑罰とは、社会が存在するにあたって必要とする諸条件を脅かす全てに対して自衛するための、一手段である。してみると、牢格子のみを防衛手段と成し、また野蛮行為だけを永遠の法として言明する現代社会はなんという惨めなものであろう!

「死刑に反対して」と冠して,擁護派が言う死刑の目的「矯正」「威嚇」に対して,いったい誰にそんなことをする権利があるのかと述べ、死刑に対して野蛮とまで言っている。どうやら社会を守るためのベストな手段として死刑を用いることに反対しているよう。

これが該当部分を略さず取ってきたものである。日本語引用部分を赤字に、途中のヘーゲル批判の対象となっているヘーゲルの考え方は緑字にしてある。字だらけなので目に優しくね
寄稿全文を読みたい人はリンクから飛んでほしい。

It is astonishing that the article in question does not even produce a single argument or pretext for indulging in the savage theory therein propounded; and it would be very difficult, if not altogether impossible, to establish any principle upon which the justice or expediency of capital punishment could be founded, in a society glorying in its civilization. Punishment in general has been defended as a means either of ameliorating or of intimidating. Now what right have you to punish me for the amelioration or intimidation of others? And besides, there is history — there is such a thing as statistics — which prove with the most complete evidence that since Cain the world has neither been intimidated nor ameliorated by punishment. Quite the contrary. From the point of view of abstract right, there is only one theory of punishment which recognizes human dignity in the abstract, and that is the theory of Kant, especially in the more rigid formula given to it by Hegel. Hegel says:
“Punishment is the right of the criminal. It is an act of his own will. The violation of right has been proclaimed by the criminal as his own right. His crime is the negation of right. Punishment is the negation of this negation, and consequently an affirmation of right, solicited and forced upon the criminal by himself.” [Hegel, Philosophy of Right]
There is no doubt something specious in this formula, inasmuch as Hegel, instead of looking upon the criminal as the mere object, the slave of justice, elevates him to the position of a free and self-determined being. Looking, however, more closely into the matter, we discover that German idealism here, as in most other instances, has but given a transcendental sanction to the rules of existing society. Is it not a delusion to substitute for the individual with his real motives, with multifarious social circumstances pressing upon him, the abstraction of “free-will” — one among the many qualities of man for man himself! This theory, considering punishment as the result of the criminal’s own will, is only a metaphysical expression for the old “jus talionis” [the right of retaliation by inflicting punishment of the same kind] eye against eye, tooth against tooth, blood against blood. Plainly speaking, and dispensing with all paraphrases, punishment is nothing but a means of society to defend itself against the infraction of its vital conditions, whatever may be their character. Now, what a state of society is that, which knows of no better Instrument for its own defense than the hangman, and which proclaims through the “leading journal of the world” its own brutality as eternal law?

Karl Marx 1853

マルクスの思想の変遷

マルクス自身は最初からのちのマルクス主義と言われる思想を持っていたわけではなく,元々は自由主義者であった。しかし、政府からの検閲が厳しく編集者時代の当初は権力に忖度して主張を抑えていたものの、ついには取り潰しに遭い、「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ…」と編集者を辞めて「再勉強」を始めた。再勉強中の彼はフォイエルバッハの「類(人間の共同性)」という考え方に共鳴した。そして後にヘーゲルの考え方に反論する形で、国家主体ではなく人間主体の体制の原理が「民主制」として帰結し、この民主制では「類」が表れると主張した。これがのちのマルクス主義の原型である。
さらに、パリに移住してからは「『ユダヤ人』は貸金業などを営む経済的階級であり宗教的階級ではない。したがって、ユダヤ人は他の市民階級が解放されて初めて解放されるのだから、まず市民階級を解放すべき」と主張し、そのためには市民階級でありながら疎外されているプロレタリアートを解放すべきだと訴えた。とはいえ、この時点でも共産主義には否定的な姿勢をとっていた。マルクスが自身の立場を共産主義と認めたのは、エンゲルスの『国民経済学批判大綱』に共鳴したためである。共鳴した彼は「労働者の生み出す価値は資本家が独占しているがために、労働者は疎外されている」と主張した。
後にパリを追放された彼はベルギーに移住したが、プロイセンの圧力を受けたベルギー当局に目を付けられていた。1845年にエンゲルスとともに『ドイツ・イデオロギー』を執筆し、「ドイツは封建主義的なので先進的なアイディアも空論になる。実践こそが重要だ。」と考えて、このような封建主義を批判して唯物史観を唱え出した。この唯物史観は、生産力の増大により人間の生産様式は変化し、生産様式の変化は生活様式の変化につながるとして、階級闘争の基盤となった。彼は、さらに、資本家は労働者に対して支払う報酬以上に労働者を搾取しているので資本は増強されるが、一方で労働者は資本家にいつまでも搾取される隷属的関係に置かれると主張している。
実践を説いた彼はベルギーで「共産主義通信委員会」を設立するが、その運営が独裁的であり批判を浴びると、批判的なメンバーを除名し早くも「民主的な独裁者」と呼ばれることになった。完全にソ連と同じじゃん
そして1848年に『共産党宣言』を書いた彼は、あの有名な言葉を世界に放った。

最後に、共産主義者は、いたるところで、すべての国の民主主義的政党の提携と強調とに努力する。
 共産主義者は、自分の見解や意図をかくすことを恥とする。共産主義者は、彼らの目的は、既存の全社会組織を暴力的に転覆することによってのみ達成できることを、公然と宣言する。支配階級をして共産主義革命のまえに戦慄せしめよ! プロレタリアはこの革命によって鉄鎖のほかにうしなうなにものもない。彼らの得るものは全世界である。
 万国のプロレタリア団結せよ!

「共産党宣言」第4章

有名な言葉は最後の「万国のプロレタリア団結せよ!」だが、その前の赤字下線部の方を見てほしい。というか、これがすべてな気がする。
彼は暴力でのみ目標を達成できると言っているのに、しかも気に入らないメンバーを排除したりもしていたのに、なにゆえ死刑には反対したのか理解ができない。
と思っていたら、こういう経緯があったらしい。
共産党宣言』を出して革命を煽ったはいいが、思ったように波及せず、彼はロンドンに移住することになる。ロンドンで貧しい生活を送りつつも、1851年から『ニューヨーク・トリビューン』(マルクスが死刑に反対する寄稿をした新聞)の通信員になり、アメリカ愛のこもった記事を書いていたようである。この新聞社は急進派で、奴隷制反対・保護貿易・女性の権利運動など南北戦争以前からアメリカ北部での世論形成に貢献した。
急進的・革新的な新聞社にウケの良さそうなものとして、死刑に反対する記事を書いたのではないかと思えてくる。というのも、彼にとって記事の原稿料は重要な収入源であったからだ。しかも、彼は後々にリンカーン共産主義の宣伝材料にしようと考えていたらしい。実際にリンカーンから書簡の返信が来たことを大々的にアピールした。リンカーンは別に共産主義マルクスには興味がなかったどころか,宣伝に使われるつもりはないと第一インターナショナルへの参加を拒否している。
なんだかんだで共産主義に好意的な土壌を広げるために記事を書いていたという可能性がありそうだなって感じがする。

ひとしきり掘った気がするからマルクスはこれにて終わり!