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「両」のあれこれを調べてみた。

こんにちは。
先日はまさかの通信落ちで高速通信のありがたみを思わぬ形で感じましたね。

今回はタイトルにもある通り、「両」について調べてみました。というのも、「両」という電車の単位をみて、何で「両」なのかとふと疑問に感じたからです。「両」って漢字の作りからして電車と関係なさそうじゃないですか。特に参照先を書いていない場合、ウィクショナリーを参照しているので、内容の正確性は保証しません。

「両」

まず前提として「両」は天秤を釣り合わせる状況の象形文字で「対になっているもの」という意味(「双」と同じ意味)があります。

電車に使う場合

電車の単位として用いる「両」は正確には「輌」です。「輌」は常用漢字ではない*1ので「両」を使用しているそうです。では「輌」とは何かという話になりますが、これは会意文字と形成文字の性質を併せ持った漢字です。会意文字は既存の漢字を組み合わせ意味も組み合わせた漢字を指し、形成文字は意味を表すパーツ(意符)と読みを表すパーツ(音符)の組合せで作られた漢字を言います。
「輌」の成り立ちを見てみると、「車」+「両」であり、読みは「りょう」です。「車」は軸の両端に輪がついている様子を表す象形文字であり「軸を中心に回転する輪」(「乗り物」という意味はここに由来しているはず)を意味しています。これに「両」を組み合わせると、「輌」という漢字は「車輪が対になっているもの」という意味でその読みを「両」から取ったものだとわかります。
ところで同じ車輪が対についているものである自動車はなぜカウントに「台」を使うのでしょうね?

貨幣単位の場合

かつて貨幣単位に「両」がありました。*2この貨幣単位としての「両」は元々度量衡の単位であり、質量の単位が時代とともに貨幣の単位に変化したという経緯があります。度量衡の単位としての「両」に関する記述は後漢の『漢書 律暦志』に見られます。
『斗酒なお辞せず:中国度量衡単位の変遷』(加島・2007)*3でこのように書いてありました。

淮南子・天文訓》に“12銖 は”半両に当たり、衡に左右有り、之を倍して24銖を1両と為す”とあり

なお、『淮南子』は前漢時代の思想書・論集です。そして、単位の由来と進法に関してこのように書かれています。

漢書・律暦志》では質量単位名称と進位について次のように解釈している:
“24銖を両と成すは24気の象也、16両を斤と成すは四時に四方を乗ずる象也、30斤を鈞 と成すは1ヶ月の象也”
つまり、24銖で1両とするのは、1年を立春立秋清明啓蟄夏至冬至など24節気に分けてある象徴である。

…結局「両」ってどこからやってきたのだ???
この質量単位としての「両」はやがて日本に輸入されましたが、中世には質量と額面との乖離が見られるようになりました。大宝律令延喜式に定められた金1両に対する銀貨の匁が時代とともに変化したためです。
江戸時代に入ると、「両」を基軸とすべく幕府が甲州金の単位である4進法単位を公定しました。また、幕府が両替用分銅の鋳造を後藤四郎兵衛家にのみ許可し、この分銅の基本単位が「両」とされました。この当時は秤量貨幣の時代で、取引のたびに天秤で計測して等価交換を行っていたために両替用の分銅の統一は極めて重要でした。
明確に「両」の起源・由来について書いてあるものがなかなか見つからないですが、上記のことを踏まえて考えると、「両」の由来は、秤量貨幣時代の金貨・銀貨の両替に用いられた分銅の単位から来ていると考えられるわけです。というか、多分そうなんですが、明言しているものがないのです。
「尺」*4や「斤」*5に関しては明確に起源を記述しているものが見つかるのですが、「両」はなかなかないですねぇ…

疲れた…

「両」って結構歴史のある単位だったんですね。
秤量貨幣はつまるところ物々交換なわけですから、確実な等価交換のためには質量が重要だったということで、「両」が通貨単位となったのでしょう。
完全にどうでもいいことなのですが、脚注内での引用は「>>」「<<」が消えないのですね。脚注内で引用する必要性がないからでしょうかね。通常は引用に対して脚注を付けるのであって、脚注に引用をつけるわけではないですし。
まあ何はともあれ、文章は錯綜しましたが疑問は解消され満足したのでここらへんで。

*1:ここを参照。 joyokanji.info

*2:完全に余談ですが、4分の1両が「分」、さらに4分の1「分」、つまり16分の1両が「朱」という単位です。4進法なんですね。この4進法の単位体系は甲斐武田氏甲斐国内での使っていたものを江戸幕府が参考にしたものです。 www.town.minobu.lg.jp 『戦国時代から江戸初期の甲斐国衡制』(西脇・2015) 戦国期から江戸初期の甲州金と甲斐国衡制 - 国立国会図書館デジタルコレクション

*3:国会図書館のデジタルコレクションからpdfファイルで見ることができます。 斗酒なお辞せず : 中国度量衡単位の変遷 - 国立国会図書館デジタルコレクション

*4:前出の加島の論文より。>> “尺”という漢字は親指と人差し指を物体に当てた広げた形の象形文字である…(中略)…秦漢代になると、尺度の標準は人体から、一定音律の笛の長さは一定なので、その笛“ 黄鐘”の長さを1尺の標準とし、その笛に収まる中ぐらいの黍100粒を横に並べると同じ長さになるので、これを補助とした“黄鐘累黍”を標準とし、1尺は約23cmとなった。 <<

*5:同じく加島より。「斤」は木を割く道具「おの」のことである。>> 質量単位“斤”も生産工具の名称から取っている。《説文》に“斤は木を故く斧也”とあり、物々交換が経常化した後、斧の質量を借用して質量の単位とした… <<