ご注文は進捗ですか?

気になったことを結論が出ないまま置いたりしています。ときどき進捗も置く。

ローマの建築とかそこらへんの話。

ゐゑーーーーーゐ!

必要に応じて半強制的にローマ建築についてやっています。どうせ忘れてしまうのでメモとして投下します。
そういえば、今日ブログ見たらあ~ちゃんが更新していて、ローマはバチカン市国から投稿していました。ローマ建築に関するモチベが少し上がった。訓練されたPTAなので。

建築様式

変遷

古典系
  1. 古代:ギリシア建築(紀元前9~紀元前5世紀)・ローマ建築(紀元前6世紀~4世紀)
  2. 近世:ルネサンス建築(15~16世紀)・バロック建築(17-18世紀)・古典主義建築(17~20世紀)
  3. 18・19世紀:新古典主義建築
  4. 20世紀:モダニズム建築
中世系
  1. 中世:ロマネスク建築(9世紀末~12世紀)・ゴシック建築(12~15世紀)

ビザンチン建築は4世紀~6世紀で発達し15世紀中頃まで続く。

オーダー

ドーリス式

簡素重厚で男性的。柱頭は円形のエキノス。柱身はふくらみがあり太く短い上、フルーティングという彫溝がある。

イオニア

優美で女性的。柱頭は典雅な渦巻型の装飾がある。柱身は細身で梁への装飾が見られる。フルーティング有。

コリント式

装飾が華麗。柱頭はアカンサスの葉をモチーフにした装飾が見られる。柱身は細身でフルーティングが有る。

トスカーナ

エトルリアの神殿様式に由来。基本的にはドーリス式と同じ。
柱身にフルーティングがなく太く短い。エンタブラチュアも簡素。

コンポジット式

帝政ローマ時代以降にモニュメントに採用されている。ex.ティトゥス凱旋門
柱頭はイオニア式(渦巻型)とコリント式(葉飾り)を組み合わせたもの。

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左から、ギリシア式・トスカーナ式・ドーリス式・イオニア式・コリント式・コンポジット式
古代ローマ建築って凄い!!

ギリシアの建築美学

  • シュンメトリア:比例関係により建築を構成

人体の肢体における比を建築に適用する。→人間の美しさや繊細さ、力強さは肢体の比率によるものだという発想。

第三のコリント式といわれる様式は、実に、少女の繊細さを模している;というのは、少女は年が若いのでもっと繊細な肢体で形づくられていて、装飾に用いて一層美しい効果をうるからである。(『建築十書』第四書、マルクスウィトルーウィウス・ポッリオ)

この発想に影響を受けて、オーダーはローマ建築における設定原理になった。

ギリシア建築とローマ建築の差異

ギリシアの建築美学に影響を受けつつも、ローマは独自の建築美学を発達させていく。

→建築物のみならず、各建築物の立地や配置なども含めた空間演出。

  • ローマ建築:アーチやドーム、ヴォールトが登場&明確な正面性の出現

→建物内部で完結する空間演出。
正面性の出現例として、ポルトゥヌス神殿。⇔比較例として、ギリシアのアテナ・ニケ神殿

ローマ建築の例

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正面
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背面
ポルトゥヌス神殿 写真・画像【フォートラベル】|Temple of Portunus|ローマ

主な特徴は次のよう。

  1. コンクリート造り
  2. 左右対称
  3. 統一的内部空間(建物内で閉じている)
  4. 華麗な装飾:宗教的制約がなかった

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平面図
ディオクレティアヌス浴場 - Wikipedia

現存最古の凱旋門
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アウグストゥスの凱旋門 (リミニ) - Wikipedia

コンポジット式の典雅な凱旋門
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ティトゥスの凱旋門 - Wikipedia

コンスタンティヌスと建築

コンスタンティヌスといえばキリスト教公認。キリスト教を公認したことで、公認以前のローマ帝国は「異教的」なものとなる。異教的なものとキリスト教的なものが混ざり始める時代。さらに建築においてはスポリア(再利用)が多くなり始める時期。スポリアには、構造的・装飾的・文化的機能があるとされる。文化的機能とは、記憶の継承や過去を再解釈する機能のことである。スポリアが多くなり始めた理由としては次のものが挙げられている。

  1. 多様性の不足:人口が増加して建物が多くなった
  2. 材料の不足
  3. 技術力の低下
  4. 異教のモニュメントと皇帝との連続性:皇帝はキリスト教化以前の異教的ローマ帝国から脈々と続いている
  5. 変革の象徴:新時代の幕開け

凱旋門における変化

コンスタンティヌス凱旋門はセプティミウス・セウェルスの凱旋門を模倣しているものの装飾の多くがスポリア&オーダーはコリント式:コンポジット式から一段劣る。
→コンポジット式は神に対する様式。皇帝の地位は神に劣ることを表現。
⇔1世紀ローマではコンポジット式は皇帝のための様式。コンポジット式>コリント式>イオニア式というオーダーの序列。
ex.ティトゥスやセプティミウス・セウェルスの凱旋門はコンポジット式

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コンスタンティヌス凱旋門
コンスタンティヌスの凱旋門 - 世界の歴史まっぷ

教会建築の誕生

初期キリスト教建築とビザンティン建築に分けることができる。建築様式はバシリカ式や神殿・墓廟。バシリカ古代ローマで裁判所や集会所として使われていた矩形の建物。

シリカ

特徴としては矩形。
ex.旧サン・ピエトロ聖堂
身廊のコリント式列柱とスポリアが特徴。44本ある円柱は素材も色彩も様々であり28本がスポリア。オーダーなど規則がない。

  1. カラフルにしたかった?
  2. 材料不足?
  3. 経済的制約?
  4. キリスト教化以前の異教のモニュメントと皇帝の連続性を示したかった?
  5. 新時代の幕開けを象徴したかった?

⇒明確な解釈は困難

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旧サン・ピエトロ聖堂
ヴァチカン、サン・ピエトロ旧聖堂:YASUYUKI OGURA So-net blog:So-netブログ

シリカ式と集中式の融合

矩形と円形が組み合わさった形。前方後円墳みたいな平面図ですね。
ex.聖墳墓教会堂@イェルサレム

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外観
聖墳墓教会 - Wikipedia
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平面図
エルサレムの聖墳墓記念聖堂:YASUYUKI OGURA So-net blog:So-netブログ

初期キリスト教会堂におけるスポリアの配置原則

  • 軸対称配置:同一様式・材料で空間の軸線に関して対称に配置
  • 空間分割配置:様式・材料の変化で空間を分割
  • 交互配置:異なる様式・材料を交互に配置
  • 強調配置:重要な領域ほど高価値な材料を配置

これらによって多様性に富む空間が演出される。7世紀にピークを迎えたのち、カロリング朝期に一時的に古典的均一性に回帰した。そして無秩序な中世的配置へと変遷していく。

教皇と都市整備

12世紀以降のローマはでは教皇権が危機にさらされたのちに再興を果たす。ルネサンス教皇権の強化に大きく依っている。

教皇権の危機と復活&ルネサンス

インノケンティウス4世を境に教皇権の没落が始まり、クレメンス5世のときに教皇庁アヴィニョンに移転することになる。しかし、マルティヌス5世のときに教皇庁はローマに帰還する。そして1400年代半ば以降はニコラウス5世から教皇権が強化されていく。ルネサンスを代表する教皇とその業績をご尊顔とともに以下に示す。

ニコラウス5世

人文主義者で学芸を庇護した。教皇庁バチカンに移転し、ローマ復興計画を推進した。彼のローマ復興計画は次のよう。

  1. ローマ市壁の修理
  2. グレゴリウス1世創設の40ある教会堂の修理
  3. 教皇庁の拠点としてボルゴ地区の整備
  4. バチカン宮の増改築
  5. サン=ピエトロ大聖堂の再建

これだけ大掛かりな都市計画を教皇が推し進められたのかというと、ニコラウス5世のときに都市施設管理官を教皇庁の管轄下に置いていたためである。今の日本でいうと、国土交通省教皇庁の手中にあるといった感じか。
ただ、宗教関係施設にばかり関心を持っていたわけではなく、水道の整備やテヴェレ川の治水にも関心を持っており、都市整備における治水の重要性を理解していた。

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ニコラウス5世のご尊顔
ニコラウス5世 (ローマ教皇) - Wikipedia

シクストゥス4世

「シクストゥスなのになんで4世なんだ、6世にしろよ覚えにくい」が第一印象
彼もまた都市整備や学芸に熱心であった。が、政治的には無能だった。彼の成果は次の通り。

  1. シスト橋再建
  2. サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂再建
  3. サント・スピリト病院建設
  4. サン・ピエトロ・イン・モントーリオ聖堂建設
  5. システィーナ礼拝堂建設
  6. バチカン図書館創設

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シクストゥス4世のご尊顔
シクストゥス4世 (ローマ教皇) - Wikipedia

ユリウス2世

学芸の庇護者として熱心に支援したところ、ルネサンスはこの教皇のもとで最盛期を迎えた。が、神に仕える者とは思えないことも割とやっている。コンクラーベでの買収とか。世俗的なイメージの強い教皇
彼の業績は次のよう。

  1. ジュリア通りの敷設と通り一帯の開発
  2. 教皇宮殿の改築
  3. サン=ピエトロ聖堂の再建

彼のこれらの取り組みもあってローマは学芸の中心地となり、ルネサンス最盛期を迎えることになった。

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ユリウス2世のご尊顔
ユリウス2世 (ローマ教皇) - Wikipedia

バロック

シクストゥス5世

だから何でシクストゥスなのに6世じゃないんだよ覚えにくいわ
彼のローマ再興は近代都市計画を実現させることにあった。その業績はバロック都市ローマの礎を築き上げたと評価されている。治安回復に努めズタボロ状態の教皇領を回復させた政治的にもすごい人。

  • 直線道路の敷設とオベリスクの再建移設
  • フェリクス水道建設

オベリスクの再建移設に関しては、異教のモニュメントをキリスト教化する意味があり、頂上の球体内にはカエサルの遺灰に代えて聖十字架の一部が収められていることにした。
レガシーは素晴らしいが、古代ローマの遺物の破壊者でもあった。
彼に破壊された遺物は次の通り。

※コロッセウムも毛織物工場や労働者の住宅に転用しようとしたが実現前に教皇死去で実現せず。

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シクストゥス5世のご尊顔
シクストゥス5世 (ローマ教皇) - Wikipedia

ルネサンスバロックの対立概念

ルネサンス
  • 線的表現:直線的な通りを整備。モニュメント・広場を直線道路で結ぶ。

ex.マントヴァ

  • 平板さ・閉鎖性
  • 多元性
  • 絶対的明瞭性
バロック
  • 絵画的表現
  • 奥行・開放性
  • 統一性
  • 相対的明瞭性

ファシズム時代の建築諸々

ムッソリーニ国威発揚のため「古代ローマの壮麗の復興」を徹底的に利用。
国を問わず国民をまとめるために歴史を用いるのは常套手段。大日本帝国時代の我が国も「天照大御神の系譜に云々」などと言って国民を国威発揚をしていたが、それのイタリア版をムッソリーニはやっていた。
ムッソリーニのレガシーは次の通り。

ファシズムの建築宣言

ムッソリーニ曰く、「集団で力を合わせて計画を実現する中で、われわれの時代に適合した統一的な特徴を刻み込んで見せること」をモットーに取り組んでいた。

大学都市整備

大学都市の整備においてムッソリーニは主導的な役割を果たし、費用の上限や建築様式、建築方法や材料の決定に至るまで深く関与していた。目指す都市像は、左右対称で一律の建築様式を適用したものであった。
この都市整備を通じて「ファシスト政権が相互に協和した建築を可能にした」という政治的メッセージを発することを意図していた。

万博のための計画&中断

この都市計画は1942年の万博のための計画であった。しかし第二次世界大戦のため計画は中断した。

エウルの裏話

ファシズム政権が政治的メッセージを持って取り組んだこの都市計画は、意外な裏話がある。

  • ムッソリーニが決めた古典主義的様式に反対したのはファシズムに忠誠を誓っていた人間だった
  • 計画は途中で中断したが、戦後再開され完成した

ファシズム政権の独裁を象徴する計画にも関わらず、戦後の民主主義国家イタリアが事業として完成させてしまう。

終わり!

疲れた。