ローマの建築とかそこらへんの話。
ゐゑーーーーーゐ!
必要に応じて半強制的にローマ建築についてやっています。どうせ忘れてしまうのでメモとして投下します。
そういえば、今日ブログ見たらあ~ちゃんが更新していて、ローマはバチカン市国から投稿していました。ローマ建築に関するモチベが少し上がった。訓練されたPTAなので。
建築様式
変遷
古典系
ギリシアの建築美学
- シュンメトリア:比例関係により建築を構成
人体の肢体における比を建築に適用する。→人間の美しさや繊細さ、力強さは肢体の比率によるものだという発想。
第三のコリント式といわれる様式は、実に、少女の繊細さを模している;というのは、少女は年が若いのでもっと繊細な肢体で形づくられていて、装飾に用いて一層美しい効果をうるからである。(『建築十書』第四書、マルクス・ウィトルーウィウス・ポッリオ)
この発想に影響を受けて、オーダーはローマ建築における設定原理になった。
ギリシア建築とローマ建築の差異
ギリシアの建築美学に影響を受けつつも、ローマは独自の建築美学を発達させていく。
→建築物のみならず、各建築物の立地や配置なども含めた空間演出。
- ローマ建築:アーチやドーム、ヴォールトが登場&明確な正面性の出現
→建物内部で完結する空間演出。
正面性の出現例として、ポルトゥヌス神殿。⇔比較例として、ギリシアのアテナ・ニケ神殿
ローマ建築の例
- ポルトゥヌス神殿
ポルトゥヌス神殿 写真・画像【フォートラベル】|Temple of Portunus|ローマ
- ディオクレティアヌスの浴場
主な特徴は次のよう。
- コンクリート造り
- 左右対称
- 統一的内部空間(建物内で閉じている)
- 華麗な装飾:宗教的制約がなかった
現存最古の凱旋門。
アウグストゥスの凱旋門 (リミニ) - Wikipedia
コンポジット式の典雅な凱旋門。
ティトゥスの凱旋門 - Wikipedia
コンスタンティヌスと建築
コンスタンティヌスといえばキリスト教公認。キリスト教を公認したことで、公認以前のローマ帝国は「異教的」なものとなる。異教的なものとキリスト教的なものが混ざり始める時代。さらに建築においてはスポリア(再利用)が多くなり始める時期。スポリアには、構造的・装飾的・文化的機能があるとされる。文化的機能とは、記憶の継承や過去を再解釈する機能のことである。スポリアが多くなり始めた理由としては次のものが挙げられている。
教会建築の誕生
初期キリスト教建築とビザンティン建築に分けることができる。建築様式はバシリカ式や神殿・墓廟。バシリカは古代ローマで裁判所や集会所として使われていた矩形の建物。
バシリカ式
特徴としては矩形。
ex.旧サン・ピエトロ聖堂
身廊のコリント式列柱とスポリアが特徴。44本ある円柱は素材も色彩も様々であり28本がスポリア。オーダーなど規則がない。
- カラフルにしたかった?
- 材料不足?
- 経済的制約?
- キリスト教化以前の異教のモニュメントと皇帝の連続性を示したかった?
- 新時代の幕開けを象徴したかった?
⇒明確な解釈は困難ヴァチカン、サン・ピエトロ旧聖堂:YASUYUKI OGURA So-net blog:So-netブログ
神殿・墓廟がモデルの教会建築
集中式と言われることもある、円形の建物。
ex.
アウグストゥス霊廟
海外旅行時、飛行機のエコノミークラスの快適性を追及する空旅工房ーローマ写真特集(t21romg4.shtml)
ハドリアヌス霊廟(サンタンジェロ城)
サンタンジェロ城 - Wikipedia
バシリカ式と集中式の融合
矩形と円形が組み合わさった形。前方後円墳みたいな平面図ですね。
ex.聖墳墓教会堂@イェルサレム聖墳墓教会 - Wikipedia
エルサレムの聖墳墓記念聖堂:YASUYUKI OGURA So-net blog:So-netブログ
教皇と都市整備
12世紀以降のローマはでは教皇権が危機にさらされたのちに再興を果たす。ルネサンスは教皇権の強化に大きく依っている。
教皇権の危機と復活&ルネサンス
インノケンティウス4世を境に教皇権の没落が始まり、クレメンス5世のときに教皇庁はアヴィニョンに移転することになる。しかし、マルティヌス5世のときに教皇庁はローマに帰還する。そして1400年代半ば以降はニコラウス5世から教皇権が強化されていく。ルネサンスを代表する教皇とその業績をご尊顔とともに以下に示す。
ニコラウス5世
人文主義者で学芸を庇護した。教皇庁をバチカンに移転し、ローマ復興計画を推進した。彼のローマ復興計画は次のよう。
これだけ大掛かりな都市計画を教皇が推し進められたのかというと、ニコラウス5世のときに都市施設管理官を教皇庁の管轄下に置いていたためである。今の日本でいうと、国土交通省が教皇庁の手中にあるといった感じか。
ただ、宗教関係施設にばかり関心を持っていたわけではなく、水道の整備やテヴェレ川の治水にも関心を持っており、都市整備における治水の重要性を理解していた。ニコラウス5世 (ローマ教皇) - Wikipedia
シクストゥス4世
「シクストゥスなのになんで4世なんだ、6世にしろよ覚えにくい」が第一印象
彼もまた都市整備や学芸に熱心であった。が、政治的には無能だった。彼の成果は次の通り。
バロック
シクストゥス5世
だから何でシクストゥスなのに6世じゃないんだよ覚えにくいわ
彼のローマ再興は近代都市計画を実現させることにあった。その業績はバロック都市ローマの礎を築き上げたと評価されている。治安回復に努めズタボロ状態の教皇領を回復させた政治的にもすごい人。
- 直線道路の敷設とオベリスクの再建移設
- フェリクス水道建設
オベリスクの再建移設に関しては、異教のモニュメントをキリスト教化する意味があり、頂上の球体内にはカエサルの遺灰に代えて聖十字架の一部が収められていることにした。
レガシーは素晴らしいが、古代ローマの遺物の破壊者でもあった。
彼に破壊された遺物は次の通り。
※コロッセウムも毛織物工場や労働者の住宅に転用しようとしたが実現前に教皇死去で実現せず。シクストゥス5世 (ローマ教皇) - Wikipedia
ファシズム時代の建築諸々
ムッソリーニは国威発揚のため「古代ローマの壮麗の復興」を徹底的に利用。
国を問わず国民をまとめるために歴史を用いるのは常套手段。大日本帝国時代の我が国も「天照大御神の系譜に云々」などと言って国民を国威発揚をしていたが、それのイタリア版をムッソリーニはやっていた。
ムッソリーニのレガシーは次の通り。
- アウグストゥス皇帝広場の再整備
- 大学都市整備
終わり!
疲れた。