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気になったことを結論が出ないまま置いたりしています。ときどき進捗も置く。

芋けんぴと仲良くなる話。

ゐゑーーーーーゐ!

こんばんは。
唐突ですが、中の人は芋けんぴが大好物です。
さっきも食べていたのですが、芋けんぴのことが好きな割には芋けんぴのことをまるで知らないことに気が付き、これを機会に仲良くなりたいと思い立ってこのエントリを書いています。

ではさっそくいってみよー!

芋けんぴとは

いつも美味しさとささやかな幸せをくれる芋けんぴですが、発祥を知っていますか?中の人は知りませんでした。「けんぴ」って何か知っていますか?中の人は知りませんでした。高知県のサツマイモ生産量を知っていますか?中の人はry
どうでもいいのですが、CiNiiで「芋けんぴ」を検索すると4件の論文がヒットします。*1

芋けんぴの発祥

芋けんぴは意外なことに高知県発祥の揚げ菓子でした。しかもその歴史は江戸時代にまで遡るのだとか。柵状に切られた見た目がけんぴという干し菓子に似ていることからこの名前になったそうです。当時の芋けんぴは今とは異なり、お手軽なお菓子ではなく、ハレの日に食べるお菓子でした。理由は「油って高価ですのん。」以降で書きます。
江戸時代中期に薩摩からサツマイモが伝えられた土佐は温暖な気候であり、サツマイモの生育に適した地域でした。また、台風の進路に被ることの多い地域ではありましたが、サツマイモは地面を這うようにして生育するので、ほかの作物に比べて被害の少なく、重要な食糧でした。*2

「けんぴ」ってなんぞや

「堅干」とも書かれるもので、小麦粉と砂糖を練り固めて柵状に切って焼き上げた干し菓子のことです。作り方も含めて和菓子屋さんが漫画を公開しています。短いので、ぜひ読んでみてください。*3
http://www.nishigawaya.co.jp/pdf/tosakenpimonogatari.pdf
なんと平安時代から伝わる干し菓子なんですって。*4

現在の高知県のサツマイモ生産量

2017年では全国9位で全国生産量に占める割合は0.9%となっています。
1位は鹿児島県で全国の生産の34.9%を占めています。圧倒的です。
2位は茨城県で21.7%となっており、3位の千葉県のシェア12.5%に大差をつけています。上位2県で全国生産量の半分以上を生産していました。*5強い。

油って高価ですのん。

芋けんぴがハレの日に食されるお菓子だったのはなぜなのか。芋けんぴは揚げ菓子なので調理に油を必要としますが、江戸時代の油は一般的には高価なものでした。搾油技術の問題で当時の江戸の町では菜種油が量産されるようになるまで油は貴重な「燃料」でした。*6おそらく高知でもそうだったと考えられます。菜種自体は紀元前には日本に伝来していましたが、西日本に普及しだしたのは16世紀後半ごろであり、全国的な普及は19世紀頃でした。*7

江戸の油と屋台。時々火災。

江戸時代の油事情を書きましたが、江戸の町の油事情はどうだったのでしょうか。江戸時代に入ると、平和になり庶民の食生活も向上しました。これまでのように明日の食事にも事欠く生活から「食事を楽しむ」余裕をもてるようになりました。そんな江戸の町では屋台が発展します。江戸の屋台では寿司・そば・てんぷらの3つが非常に人気であったそうです。江戸前寿司の屋台なんかは時代劇などで見たことがある人も多いでしょう。

てんぷらと屋台

てんぷらが人気メニューとして定着した理由は、当時の食事にしては手軽でハイカロリーだったことにあります。屋台営業で花開いたのは江戸では屋内のてんぷら営業が禁止されていたためです。てんぷらは高温の油を大量に用います。そして江戸は100万人都市です。当然、火災になればシャレになりません。したがって、屋台での営業にならざるを得なかったのです。*8

江戸の火事事情

実際に江戸では火事が頻繁に起こっていました。

天正 18 年(1590)、徳川家康が江戸に入部してから明暦の大火に至る 67 年間のうち、合計 140件もの火事が江戸に発生している。そのうち武家屋敷からの出火が 56 件、民家からが 19 件、寺社からの出火が 15 件と不明が 50 件ある。

なぜこんなに火事が多かったのかというと、当時は茅葺が多かったということも原因の一つではありましたが、それ以上に大阪や京都と比べても火災件数が多かったのには江戸の地理的特徴が大きく関係してました。

第一には、冬から春先に北ないし北西の冷たい季節風「空っ風」が吹き続け、数十日ものあいだ、一滴の雨も降らない場合、第二には、春先または秋口において日本海を通る強い低気圧のため、「春一番」と呼ばれる南風が吹く場合である。現に大火は太陽暦3月がもっとも多い反面、8月には一度も火災は起きず、春も4月以降は極端に減少した。

内閣府防災担当作成資料『災害教訓の継承に関する専門調査会報告書原案「1657 明暦の江戸大火」』から引用しました。p.11には明暦の大火以降の大火が表形式で整理されています。引用資料のタイトルに「」が含まれる場合、『』の中に「」が入ることになるが、それでいいのだろうか。この場合の表記ルールはあるのかね?
http://www.bousai.go.jp/kohou/oshirase/h15/pdf/2-7.pdf

明暦の大火と屋台

江戸史最大の火災として有名な明暦の大火ですが、この火災は実に江戸の町の60%を焼きました。江戸城もこの火災で焼かれました。
大火のあとの江戸には復興のために多くの職人などがいました。そんな彼らに手軽さでウケたのが屋台です。*9そして、寿司やそばに並んで、ハイカロリー・手軽・安いの3拍子揃ったてんぷらは江戸の人気メニューとなったのでした。今でいうファストフード的な感じですね。

おわり!

つかれた。これで芋けんぴがますますおいしく食べられそうです!
今回は珍しく短めで終わります。

*1:CiNii「芋けんぴCiNii Articles 検索 -  芋けんぴ

*2:芋屋金次郎HP www.imokin.co.jp

*3:菓子匠西川屋老舗 www.nishigawaya.co.jp

*4:芋屋金次郎HP www.imokin.co.jp

*5:region-case.com

*6:こちらのサイトを参照されたい。 www.jeinou.com

*7:山中油店より。 山中油店

*8:油屋の歴史40 油屋の歴史40

*9:油屋の歴史40 油屋の歴史40