ご注文は進捗ですか?

気になったことを結論が出ないまま置いたりしています。ときどき進捗も置く。

自殺について調べてみた。

こんばんは。
先日帰ろうとしたら人身事故の影響に巻き込まれました。何と終電の約60分前に事故が起き,一時はこのまま運転は再開しない見通しとアナウンスもされていましたが,結局約80分後に運転は再開したようです。
中の人は早々にタクシーで帰りました。
個人の生死は自己決定権の範疇だと個人的には思っているので,自殺するのも生死を自ら決める究極の権利だと考えていますが,他人に多大な迷惑をかけていい道理はありません。つまり,電車に飛び込むのは本当にやめてほしいわけです。時間帯によっては万単位の人間に影響を与えますし,そもそも何の罪もない運転士にトラウマを植え付けかねない行為は許されるものではありません。
ということで,今回は,以前から疑問だった自殺者の動機(なぜ死を選ぶに至ったのか?)と自殺大国という不名誉な称号をもつわが国の自殺を取り巻く事情を調べてみました。

今年度の自殺者数

10月末時点の暫定値で,17,413人でした。
自殺者数|警察庁Webサイト

単純な人数だけで見ると,3月・5月・4月についで10月は自殺者が多いですね。
3月・4月は年度が変わる時期であり人数が増加するのは何となく理解できますし,5月はいわゆる5月病かなと(正しいか否かはさておき)推測できますが,10月はなぜなんでしょうね。年の瀬でもなければ、いわゆる夏休み明けでもない。いわば「中途半端な」時期なわけです。冬になると日照時間が少なくなり季節性の鬱になるという話もありますが,10月は冬というより秋であり季節性鬱の可能性も考えにくいように感じます。季節性鬱は秋又は冬から発症し得るものらしく,10月から発症することが考えられないわけではありませんが,もしそうだとすると11月から2月までの自殺者も多くなるはずです。ただ,これはいわゆる「健康な人間」の感覚なので,当事者がどのように感じているかは分かりません。
冬季うつ病

地域でみると,10月は東京・埼玉が3桁台で,そこに神奈川と千葉が続いている状況です。関西圏では首都圏のような大きな値は見られず,関西圏では高い値をマークしている大阪・兵庫であっても70人台でした(神奈川より少ない)。
数の上では人口の多い都心部,特に首都圏が上位に来るのは納得です。
大阪は例年自殺による死亡率が比較的低いみたいですね。

自殺者の推移

警察庁の資料によれば,人数が確定している平成29年までの自殺者の推移は以下の通りです。
https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/jisatsu/H29/H29_jisatsunojoukyou_01.pdf

これを見ると,まず男性の自殺者が女性の2倍以上いることがわかります。資料によれば約2.3倍です。一方で,ここ数年では減少しており,一時は年間自殺者3万人超えが社会的問題として取り上げられていたものの,ここ数年では3万人を下回っています(無論,今後増加する可能性は大いにあります)。そして,ピークは平成15年で3万4000人を超えています。平成15年は郵政民営化が実現し,又,宮城県地震が頻発した年です。
この時期の自殺の背景を調べてみたところ,経済的要因が大きく,景気の影響を受けやすい中高年男性が占める割合が多くなったことをピークの原因に挙げているものが多かったです。実際に,遺書のある男性自殺者で最多の原因は景気的要因でした。そして確かに中高年男性の自殺者が非常に多いです。(サンプル数を考えると)統計的には男性の自殺は景気的要因が主たる原因であると結論して問題なさそうですが,健康上の問題や遺書なしの人数の多さも気になります。
参考

では,景気状況を見ていきます。
この年にはりそな銀行に約2兆円の公的資金が注入されるなど,金融機関の不安定化による金融危機への意識の高まりがありました。しかし,その後景気回復に向かっていきました。つまり不景気が加速したとは言えないわけです。もっとも,景気の良し悪しや回復後退の判断はあとからデータを見て言われる「後付け」のものなので,この当時生きていた人間は景気が悪いと感じていたかもしれません。
そもそも,日本人は持ち前のデフレマインドによりだいたい常に景気が悪いと言っている生き物なので,個人が感じる景気動向など1ミリもあてにならないでしょう。
第1節 景気の現状と前向きの動き
https://www.dir.co.jp/report/research/law-research/regulation/08101701financial.pdf

景気の影響をより一層受けやすい男性の自殺に景気的要因があることは統計的に分かりましたが,景気状況は特段悪化していたというわけでもなさそうでした。どうなっているんでしょうか…
続いて日照時間を見て,季節性鬱の可能性を検討してみます。ということで,まず気象庁の資料を見ます。
https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/stat/tenko2003.pdf

平年と比べて90%以下となった地域が多くなり全国的に日照時間が少なかったことが分かります。地域別の自殺者数を見ます。人口数を配慮して10万人当たりの死亡率を見ると,日照時間とはほとんど相関がありません(相関係数を計算すると約-0.036でした。)。とりあえず散布図を描いてみました。日照時間が(前年と比べてではありますが)少なくなったことが即ち自殺者の増加につながっているとは言えないことが分かります。
死亡率で見ると,青森・岩手・秋田・山形・新潟・富山・福井・島根・宮崎で30%を超えています。東北・北陸高いですね…
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都道府県別にみた自殺

ところで,なぜ東北が10万人当たりの死亡率で上位に来ているのでしょうか。平成15年の秋田県に至っては40%を超えています。この年に限らず,東北地方は比較的自殺率の高い地域と言われています。
さて,ここから平成15年の話から最近までの資料をもとに話を進めていきます。
平成28年秋田県警の公表資料によると,健康問題が秋田県内の自殺の原因で最も多く,自殺率が高い秋田であっても原因は全国動向と同じです。そしてその健康問題についてですが,あとで紹介する健康問題の内訳の資料では鬱が大きな割合を占めており,それは秋田県にも当てはまるでしょう。
http://www.police.pref.akita.jp/kenkei/toukei/gaiyou28.pdf
過去数年の傾向も同様で,ほとんど変化していません。
秋田県警のこちらのページから過去の資料についても見ることができます。このHPのスタイルが許されるのは2000年代初頭まででは?と若干イラっとした
秋田県警ホームページ
おそらく上位の他県についても同様に健康問題による自殺が多いものと考えられます。秋田が突出している理由はわかりませんが…健康問題=季節性鬱と考えることは難しく,なぜなら10月で最多になることから雪による日照激減が原因ではないと言えるためです。2月も多いことは多いですが,7月〜10月に多くなっていることを考えれば,雪による日照時間の減少が原因とは言いにくいです。
東北地方でも北部は自殺率が全国的に見ても高めですが,自殺者の年間推移を見てもやはり季節性鬱が原因とは言えません。ただ,全国動向と同じく健康問題で鬱が最も多いのであれば,なぜ鬱が引き起こされるのかという疑問が生じます。
全体的に日照時間が少ないことは否めませんが,それはランキング下位の他県についても言えるわけですから,何が要因なのかよく分からないですね。
日照時間のランキングはこちらです。2014年の日照時間を基にしたランキングですが,各地域の日照時間が年によって著しく変化するとは考えにくいので,概要把握のためならば例年のランキングと考えて問題ないでしょう。
http://grading.jpn.org/SRB02401.html:
秋田はなんと最下位で,他の東北地方も平均を下回っています。ランキング下位には平成15年の10万人あたりの死亡率が30%を超える県として紹介した宮崎以外の県が含まれています。
うーーーーん。季節性鬱の可能性を排除しつつありましたが,パッとこれを見るとなんとも言えませんね。自殺者の多い月又はそれ以前に日照時間がガクッと少なくなったなどの変化が分かれば,日照時間を鬱などの要因の一つにあげることができます。
ということで調べてみました。こちらが秋田県の月別日照時間。
気象庁|過去の気象データ検索
10万人あたりの死亡率で平均付近の福島県と比べてみます。
気象庁|過去の気象データ検索
比べてみると,秋田県は冬季に著しく日照時間が減少することが分かります。減り方もガクッと減ります。
しかし秋田県の自殺者は10月に最多になるわけです。ここでもまた日照時間の減少やそれが要因の一つとなる季節性鬱が自殺に大きく関与していないということが示されました。謎ですね…

ちなみに10万人あたりの死亡率が高いものの日照時間は平均を上回っている宮崎県の月別日照時間はこちらです。
気象庁|過去の気象データ検索

だいぶ話が脱線しましたので戻します。
健康問題が自殺原因の最多であるという話に関連して,少し古い資料ですが,健康問題による自殺者の詳細な内訳がありました。
https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/jisatsu/16-2/dl/2-02.pdf
これをみると,まず鬱病が最も大きな割合を占めており,次いで身体の病気や精神疾病が来ています。
さらに,鬱病が自殺の原因・動機となっている事例において,ほぼ毎年同程度の割合で勤務問題が,また近年漸増しているものとして家庭問題があります。職場・家庭における問題により鬱病を発したのか,それとも何らかの原因で鬱病を発し,それにより職場・家庭において問題が発生したのかは分かりませんが,概ね予想通りな結果だとわかります。

自殺の動機

警察庁のページに詳しい統計がありました。これを見ると,最多原因は健康上の問題であり,その次に家庭問題や経済的要因が来ます。しかもこの3大原因は年次推移の中でも各年における割合が大きく変化していないことがわかります。そして,年齢階級別推移においても構成年齢階級の割合がほとんど変わっていません。
我が国を取り巻く自殺事情は改善されているのか不安になります。人数が数年連続で減少していることは良いことですが,若年層と働き盛りの年代の自殺に関しては早急に対応してもらいたいですね。一説によると鬱病関連の自殺者の多さにより,我が国は25.4億ドルの経済損失をしているそうです。OECDの2014年の報告書内にあるらしいのですが,読んでいませんので詳しくはわかりません。
自殺者数|警察庁Webサイト

人身事故

少し話は変わりますが,人身事故の統計をまとめているサイトがあります。
https://accident.laboneko.jp/ranking/route/2018
ここのデータを信用すると,2018年の現時点で1位は東北本線,2位3位は中央線の路線です。概ね目にする人身事故情報と一致しています。中央線は人身事故で頻繁に止まっているイメージを持っている方も多いのではないでしょうか。
上位の多くは首都圏を通る路線です。人口が多ければ,それに伴い件数が増加するのはわかります。ところが,人口比率でみてみると、2位に奈良県が,3位には香川県が出てきます。これは件数に対して県の人口が少ないことによるものです。
ここでも東京は1位でしたが,事故件数は相当多いですね。東京や千葉,神奈川といった首都圏では20代の人身事故が多いということも特徴でしょう。ただ,これは酒に酔っぱらって転落したなどの場合もあるでしょうから,これをもって若者の自殺が多いとは言えません。
なお,飛び込みによる自殺について,自殺を意図した経験談をツイートしたものをまとめたページがありましたのでご紹介します。ただし,所詮ツイートなので信ぴょう性については不明です。このページにまとめられたツイート曰く,「鬱状態でホームにいると『魔が差して』フラッと飛び込もうとする」そうです。
駅での飛び込み自殺が多い理由とは…。実体験を綴ったツイートに共感の声 | BUZZmag

結局何の疑問にも答えてませんが今回はここまで。

「経済を回す」の「回す」を調べ回す回。

こんばんは。
前回のエントリで,

書きながら思ったのですが、「経済を回す」というフレーズ、なにゆえ「回す」というのか。回すってなんだよ。べつに転がすでも膨らませるでもよくないか? さてはこの言葉を生み出したのは天動説派か?

と書いていました。あの時は完全な思いつきで書いており,瑣末なことにしか思っていなかったのですが,しばらく経って急に気になりだしたので,ちょっと調べてみました。天動説派云々については最後に書きます。あとついでに「オタク」の変動も見ました。
前回の記事はこちら。
make-a-progress.hatenadiary.jp

疑問

「経済を回す」の「回す」って何?
より正確言うと,なぜ「回す」を使っているのか?
経済を活性化させるという意味なら,「膨らませる」「潤わす」とかでもよくない?

予想

【予想1】「金は天下の回りもの」という言葉が由来
【予想2】好景気による忙しさに「目を回していた」ことが由来

結論

分からん。
なぜ「回る」を使っているのか明確な答えにはたどり着きませんでした。
が、しかし、「経済循環」「景気循環」という考え方があり、そこから来ているような感じがしました。

「経済循環」とは?

生産から消費への流れのこと。あるいはそれに伴う貨幣の流れのこと。

景気循環」とは?

景気の良し悪しの変動のこと。いわゆる「景気の波」を指す。

なんというか、ここら辺から推測するに、こんな感じで「回す」を使い始めたのかもしれませんね。
「不景気で厳しいねぇ…」
「いや必ず好景気が巡ってくるよ。なんたって景気にはサイクルがあるからね!」
「じゃあお客さんにお金をいっぱい使ってもらって景気を回してもらわんとね。オラ買えコラ」
多少無理やりになりましたが、適当な妄想です。というか「巡る」「サイクル」という表現がすでに「回す」の意味を含んでいましたね…
なぜ「回す」を使っているのかは分かりませんでしたが,「金は天下の回りもの」に代表されるようにお金や経済に対して「循環するもの」という意識が古くからあるようだということは分かりました。

ついでなので「経済」の語源も書いておきます。

「経済」の由来

「経済」という言葉は、「経世済民」という言葉を略したものです。「経国済民」とも言います。意味は、「国を治めて民衆を救う」です。

中国での「経世済民」と「経済」(古典的用法)

経世済民」は古代中国の西晋東晋時代の道教学者葛洪の著作『抱朴子』に出現するところが始まりのようです。中国の典拠における「経世済民」は政治など国家統治に関する意味であり、いまのようにeconomyの意味では使われていませんでした。ちなみに『抱朴子』は道教に関する修行書のようなもので、「修行や丹の調合により仙術を身につけられる。祈祷とか他力本願だからダメ。」ということが書いてあったりするそうです。彼は金丹(硫化水銀と金液を原材料にしたもの)を摂取すれば永遠の命を得ることができると説きましたが、一方で調合は困難極まるので、別のいくつかの方法を併用することで寿命を延ばすことを目指しました。それが瞑想などの修行です。命=永遠が無理なら、命→永遠にすればいいという発想ですね。一見すると中二病ここに極まれりですが、彼は神仙思想などに大きな影響を与えた偉大な人物です。

江戸後期の日本と「経済」(economyとしての「経済」)

元々日本では「経国」「済民」などと別々に使われていましたが、明朝末期から清朝初期にかけて中国の考証学者の間で盛んになっていた「経世致用の学」に影響を受けて、日本国内でも「経世済民」として一つの概念として用いられるようになりました。「経世致用の学」というのは、「学問は役立たなければならない」という実学重視・実践重視の考え方のことです。そして、これに影響を受けた日本でも同じ議論が流行り、「経世論」「経世済民論」として盛り上がります。この議論の中で、太宰春台という人物がその著作『經濟録』(18世紀前半)の中で「経済」をeconomyとしての意味のほか、統治や行政など政治的な意味も含めた幅広い意味で用いていました。この時点ではまだ古典的用法として用いられていたといえるでしょう。
しかし、江戸後期(18世紀後半)には貨幣経済の浸透を背景に「経済」は「生産・消費・売買などの活動」という意味合いが濃くなっていきました。そして、イギリスの古典派経済学の文献が日本に流入してくると、いくつかの段階を経て、「経済」はeconomyの訳語として用いられるようになりました。ちなみに古典派経済学は新古典派経済学が誕生する18世紀後半まで発展したので、当時では先端的学問といえるかもしれませんね。話を戻すと、economyに対する訳語として「経済」が用いられて定着したので、古典的なニュアンスの「政治・統治」などの意味は消えていきました。

そして逆輸入へ

日本でeconomyの対訳として定着した「経済」は「経済」の生みの親である中国に伝わり、中国や周辺のアジア圏にもeconomyとしての「経済」が定着するようになりました。つまり、今日の「経済」は日本発祥という意外な経緯がありました。

ちなみに

天下のGoogleトレンドで「経済を回す」を見てみたところ、こんな感じになりました。2004年までしか見られないので何とも言えないですが、これを見る限りでは比較的最近使われるようになった言葉なのかもしれないですね。「オタクが経済を回す」なんていう言葉も割と最近になってからですよね。
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最初の山は2007年2月です。この年の9月にはリーマン・ショックが起きましたが、なぜに2月に山を迎えたのかは謎です。そして、ピークは2011年4月でした。このころに何があったのかというと、前月の3月に東日本大震災があり、のちに1ドル76円25銭という超円高が記録されました。さらに前々月2月には中国が日本を抜いてGDP世界第2位になり、また3DSが販売されました。
おそらくは大震災による相場への影響や1次・2次産業への壊滅的影響に関する懸念を受けて、「食べて応援」「買って応援」という流れの中で「経済を回す」が発せられたのでしょう。

「オタク」の変動

同じくトレンドで「オタク」を調べたところ、こんな感じになりました。ピークは2005年8月です。…8月?8月とオタクと言えばあれしかない。そう、コミケです。と思って参加者数などを見たのですが、過去最高を記録したとかそういうことは特にありませんでした。参考までにコミケの参加者数の推移も載せておきます。2005年8月はC68です。(赤い矢印)
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www.comiket.co.jp
2008年以前で見れば確かに歴代2位タイの参加者48万人ですが、それ自体はトレンドでピークを迎える理由になり得ないので、何か要因があるはずなんですけどね…「電車男」とか「ローゼンメイデン」の影響かなとか思ったものの、確証は得られずでした。8月に入る3話・4話には水銀燈翠星石の回になるので。オタクは水銀燈翠星石を好みがち
そしてもはや完全に関係ありませんが、「コミケ」のトレンド変動がこちらです。
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周期的に上がっており、8月と12月が山になります。わかりやすい。
そしてピークは2014年8月です。C86の時ですね。

天動説派について

誰が「経済を回す」という言葉を生み出したのかわからない以上、天動説派か否か断定することはできませんし、断定することはおろか天動説派か否かを検討することに何ら意義はありません。なので、「経世済民」という言葉を生み出した古代中国の宇宙観について書いておきます。

古代中国の宇宙観

天動説です。ただ、いわゆる天動説でおなじみのプトレマイオスの考え方とは多少異なります。古代中国の宇宙観には、蓋天(がいてん)説と渾天(こうてん)説があります。

  • 蓋天説

蓋天説は、天と地は平行になっていて、天は北極を中心に回転していると考えました。こんな感じです。のちに、天はドーム状であるとされました。
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on-linetrpgsite.sakura.ne.jp

  • 渾天説

渾天説は、天を卵の殻に、地を黄身に例えたものと思ってください。殻、つまり天は回転しており星はこの殻に付着しているので見えたり見えなくなったりするのだと考えました。こんな感じです。
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http://www.oocities.org/volkou/astro/A7/A7.htm

今回はここまで。疲れた。

試験を受けてみた。

こんにちは。
権威主義者なので資格がほしくなり,4万円を払って試験を受けてきました。以前,駅でパクられた額と同じ

セキュリティのベンダーニュートラル試験を受けてきたのですが,内容云々以前に高い。高すぎる。正確には4万2936円。一回受けるだけでもバイト代をかなり食いつぶしてきます。とはいえ,この試験は今年12月までしか受けられない*1ので,早めにということで,前日からあらゆることをストップして勉強して受けました。なぜならこんな話を見てしまったから。

TACの模試とほぼ同じ問題が出るらしい。おっ?癒着か?
【資格受験記】CompTIA Security+(SY0-401)に1週間で合格してみた | ITエンジニアが旅をするように暮らす(たびくら)

www.biborock.com

書きながら思った。リンクこそ脚注にすべきでは、と。

それを信じて木曜日にはひたすら演習問題を解き回していました。それはもう答えを覚えるほどに。分野別は10回以上解いたし,模試2本も結構な回数(5回)解きました。こんなに演習やりこんだことなんて人生でほとんどありません。なんたって4万円出してるからね。
この受験料により、クレカの支払い額は一気に上がり、ふた月連続で10万を超えることが確定しました。日本経済回しているぞ。*2

そして,なんだかんだで試験を受けてきたわけですが…
自分ってすごい!あれだけやったのに普通に忘れる。試験中に「なんだっけこれ」となることの多さよ。鳥頭…

自分の脳はどういうわけか「ググれば出てくるもの」は基本的に暗記しようとしないので*3、ヒントなしの○×クイズ的な問題や意味を聞いてくる問題はなかなか苦しいものがあります。もちろん量をガンガン積む演習を通じて覚えているものがほとんどですが、やはりど忘れするものがちらほらと。


まあそうこうしているうちに試験は終わりました。
この試験はその場で結果とスコアが分かります。
運命の瞬間です…(ギリで受かったかなぁ…という手応えでした。ど忘れ許すまじ)

90%超えで合格です。10周もやったんだから当然っちゃ当然。めっっっっっちゃ安堵した
合格するには85%くらいの得点が必要であり,また各問題の配点は不明なので、割ときちんと対策していかないと思わぬところで足をすくわれるだろうなと思いました。とはいえ、合格するだけなら(テキスト読んで)模試で演習すれば大丈夫です。記憶力いい人なら3日あればいけると思う。中の人はトータル2週間くらいかけましたが。

これでSecurityは回収したので、次はCloudで何か取るかなぁと思ってたりする。破産道中膝栗毛

今年のクリスマスプレゼントは記憶力にしようかなぁ…

*1:12月の半ばから新バージョンの試験に移行する。脚注に書くほどのことでもない

*2:書きながら思ったのですが、「経済を回す」というフレーズ、なにゆえ「回す」というのか。回すってなんだよ。べつに転がすでも膨らませるでもよくないか? さてはこの言葉を生み出したのは天動説派か?

*3:雰囲気だけ覚える。あとはそのうち勝手に覚える。暗記は脳が拒む。悲しい。

1日のカフェイン摂取量を調べてみた。

こんにちは。
コーヒーを飲んでいたら、ふとカフェインの摂取量が気になったので、昨日2018年11月21日のカフェイン摂取量を調べてみました。

飲んだもの

TULLY'Sのブラックコーヒー285ml
エナジードリンク KiiVA500ml×2

昨日は水とこれしか飲んでいませんでした。というかこんな少ない水分量でよく生きていられるな。普段はもっとこまめに水分補給するのに。

さて、実際に計算してみます。
TULLY'Sのコーヒーのカフェイン量は60mg/100mlなので、一本で171㎎。
KiiVAは一本当たり100㎎なので2本で200㎎。
したがって、昨日は371㎎のカフェインを摂取していた計算になります。
思ったより少ないですね。バタバタしていたからでしょうかね。

ここからは余談になります。むしろ余談がメイン
普段の生活ではどうなのかを計算してみます。
普段は、250mlのちっこい水筒にコーヒーをいれ、加えてエナジードリンクを買って飲みます。また、部屋にいるときも基本的にはコーヒーを飲んでいます。大体量にして1Lくらいでしょうかね。これを基に計算します。
コーヒーには100mlあたり60㎎のカフェインが含まれる*1そうなので、これに準拠します。コーヒーだけで1250mlなのでカフェインは750㎎。さらにエナジードリンクから100㎎なので、合計850㎎ですね。まあ妥当な数字でしょう。

参考までに高校時代のカフェイン漬けだった時期の摂取量を振り返ります。
あの頃は、アメリカの1粒200㎎の錠剤を一回2錠・1日3回摂取がデフォルトでした。この時点で1200㎎です。カフェインの致死量は当時の体重からして8000㎎~12000㎎でした*2から、錠剤だけで致死量の10%~15%ほどを1日で摂取していた計算になります。怖いもの知らずもいいところです。これにコーヒーやら何やらを飲む生活を2年半ほど続けていたのでおそらく今後、反動が来るでしょうね。既に一回不整脈で心臓内科送りに…
内臓に対してブラック過ぎました。心臓・腎臓・肝臓あたりには申し訳なかったです。

ただ、この致死量は一回又は極めて短時間内に連続して摂取した場合の話なので、数時間程度の間隔をとって血中濃度が下がってから摂取した場合の摂取量と一概に比べられるものではないですね。

ちなみに、wikiにこんな記述が…

250mg/day以上の摂取では、焦燥感、神経過敏、興奮、不眠、顔面紅潮、悪心、頻尿、頻脈などの症状が現れることがあるが、この量はDSM-IV-TRにおけるカフェイン中毒の診断基準Aであり、これらの症状を5つ以上満たすのが診断基準Bである。

心当たりがありますね…中の人は頻脈が顕著でした。そのほかはそれほど自覚症状がありませんでした。
そしてこんなことも。

カフェインは一時的に頭痛を止める働きがある一方で、常用するとかえって頭痛が起こりやすくなる。これは、カフェインの脳血管収縮作用により頭痛が軽減されるためで、時間の経過と共にこの血管収縮作用が消えると、反動による血管拡張により頭痛が生ずることがある。

これはカフェインをいきなり断った際に苦しめられた症状そのままです。頭痛がひどくて何もできなかったことをよく覚えています。

カフェインは肝臓で代謝されるようなので、高校時代はカフェインで、そして今はアルコールで肝臓をかなり酷使していることが裏付けられてしまいました。本当にごめんなさい、肝臓さん。

結論

カフェインの取りすぎは、たとえそれが一回又は短時間内でなくても避けるべき。というか常飲をやめろ。
そして、カフェイン摂取による身体的影響と離脱症状に心当たりがありすぎました。というか実体験とほぼ同じでした。

カフェインとアルコールはやめた方がいいよ。(自戒)

マルクスは死刑に反対なようです。

こんにちは。
安っぽいアニメのタイトルみたいですが、今回はマルクスのお話。
というのも、マルクスの死刑に対する考え方に関して考察というかコメントした論文なのか寄稿なのかわからない文書を目にし、短かったから興味がわき読んでみたので。

読んだもの

「知られていないマルクスの死刑についての見解」(ホセ・ヨンパルト)
著者のホセ・ヨンパルト先生は上智法哲学者で、法学部ならほとんどの人が知っているであろう刑法学者の団藤先生とお知り合いだった方らしい。

概要

マルクスの死刑に対する考え方を新聞寄稿を通じて明らかにしたもの。
死刑制度をもつ国が珍しくない時代でありながらマルクスが進歩的な視点を持っていたことが指摘されている。
この寄稿は非常に短いので、なんかいろいろ調べてみた。今回は調べてみたことを置いていく感じで。

結論

マルクスは死刑に対して「野蛮行為」とまで言って反対している。がしかし、その理由はわからなかった。

詳細

そもそもマルクスって誰なの?あとマルクス主義って何さ。

マルクスって誰よ。

カール=マルクスは,マルクス主義を打ち立てた思想家にして革命家,そして経済学者。ユダヤ人の両親の間に生まれた。元々はプロイセンの人で,のちにイギリスで活動した。
プロイセン→フランス→イギリスと転々とし,人生のほとんどを亡命者として過ごしたファンキーな経歴の持ち主。家政婦を雇うどころか孕ませた。がっつりカネで人のこと使ってるじゃん
体格は短足胴長で恰幅が良いと娘婿に評されている。彼は病弱ではなかったが,不規則な生活を送っていたのでのちのち病気がちになる。そして『資本論』一巻を執筆している時にはお尻のおできに苦しめられており,痛みのあまり座っていられず,エンゲルスに「お尻の痛みが著作の憎しみ表現に繋がっているんじゃないのかw」とからかわれたところ,マルクスは「ブルジョワジーは死ぬまで俺のおできのことを覚えておけよ。クソどもが。」と応じている。わけ分からない。ブルジョワジーに自分のお尻事情を押し付けるな。
また,彼は新陳代謝機能がぶっ壊れていたのにもかかわらず酒好きヘビースモーカーであり,「資本論の売り上げで葉巻代を回収できなかったw」などと述べており,借金取りに追いかけ回される日々の中で節約のために安物の葉巻を吸って体調を崩しドクターストップをかけられた。
ギムナジウム(ドイツの中等教育機関。こっちでいうところの中学高校に相当…?)の卒論や大学入学後に書いた詩などは酷評され,最初に入学したボン大学で好き放題やった結果,父に厳格なベルリン大学へ移るよう怒られた。だがしかし厳格なベルリン大学に移った後も,ボン大学時代と同じく好き放題やって暮らした。その結果,父親に「他の学生よりもカネ使うし,挙句借金までしやがって」とぼやかれた。父親のお小言はマルクス家のお家芸
父親は弁護士であり,病弱なこともあって,マルクスには法律職で稼いで欲しかったらしい。父が亡くなり,母がマルクス家7人の子どもを養わなければならない状況になったが,早く働いて欲しいという母の願いも虚しく,法律に見向きもせず哲学にどハマりしていたマルクスはさらなる仕送りを要求したため,家族仲は険悪になってしまった。
ボン大学時代に幼馴染で貴族の娘イェニーと結婚した彼は,ベルリン大学を出てから各地を転々とする人生を過ごした。各地で権力に噛み付く主張を繰り返し,彼の生み出した思想は国家の形成や哲学,経済学など様々な分野に多大な影響を及ぼしたが,妻や子どもに先立たれた後1883年にイギリスで没した。

マルクス主義とは

マルクス主義とは,端的にいうと,階級を無くして協同社会を作ろうという考え方のこと。もう少し言うと,労働者階級(プロレタリアート)はその労働力を提供しているが,資本家階級(ブルジョワジー)は労働者に支払う給料以上に労働者を働かせて余剰の価値をタダで得ている。そんな状態にこれ以上労働者を縛り付けておくのではなく,ブルジョワジーから権力を奪取して,資本を社会の共有財産にすべきである。そうすれば,労働者は解放されるので階級格差も階級そのものもなくなり,階級支配のための政治権力までもがなくなり協同社会が実現できるよねという考え方。

マルクスの主張を取り入れた国は?

いわゆる旧ソ連諸国。
階級をなくして階級支配のための政治権力の消滅を目指していたマルクスだが,それがマルクス・レーニン主義などの下では皮肉な結果を招いた。
まず一党独裁の時点でお察しではあるが,必ず特権階級が発生する。はい終了。
そして,一党独裁の社会では,個人が対等であることなどまずあり得ず,異議を唱える者は粛清される。そもそも裁判に付されるかも怪しい中で死刑になったり収容所送りになり強制労働をさせられたり。もうダメ。
ところが,マルクス本人は死刑を是としていなかった。

で、マルクスの死刑に対する見解とは?

マルクスは1853年2月、New York Tribuneにこんな寄稿をしている。

死刑に反対して
死刑を擁護するために最も多く提示されてきたのが、「矯正」と「威嚇」を目的とする便法である。しかし、如何なる権利があって一人間がもう一方の者を「矯正」する、あるいは「威嚇」する目的を持って処罰できようか?
…(中略)…
ヘーゲルは、犯罪者を受動的な物体、正義の奴隷と目する代わりに、彼を自由で自律的な存在の等級に引き上げている。しかしながらここでもまた、ドイツの理想主義は、既存社会の諸法を形而上学的な覆い物をもって飾り立て、またかようにしてそれらを是認しているだけであることが容易に見て取れる[。]
…(中略)…
実は社会にとって刑罰とは、社会が存在するにあたって必要とする諸条件を脅かす全てに対して自衛するための、一手段である。してみると、牢格子のみを防衛手段と成し、また野蛮行為だけを永遠の法として言明する現代社会はなんという惨めなものであろう!

「死刑に反対して」と冠して,擁護派が言う死刑の目的「矯正」「威嚇」に対して,いったい誰にそんなことをする権利があるのかと述べ、死刑に対して野蛮とまで言っている。どうやら社会を守るためのベストな手段として死刑を用いることに反対しているよう。

これが該当部分を略さず取ってきたものである。日本語引用部分を赤字に、途中のヘーゲル批判の対象となっているヘーゲルの考え方は緑字にしてある。字だらけなので目に優しくね
寄稿全文を読みたい人はリンクから飛んでほしい。

It is astonishing that the article in question does not even produce a single argument or pretext for indulging in the savage theory therein propounded; and it would be very difficult, if not altogether impossible, to establish any principle upon which the justice or expediency of capital punishment could be founded, in a society glorying in its civilization. Punishment in general has been defended as a means either of ameliorating or of intimidating. Now what right have you to punish me for the amelioration or intimidation of others? And besides, there is history — there is such a thing as statistics — which prove with the most complete evidence that since Cain the world has neither been intimidated nor ameliorated by punishment. Quite the contrary. From the point of view of abstract right, there is only one theory of punishment which recognizes human dignity in the abstract, and that is the theory of Kant, especially in the more rigid formula given to it by Hegel. Hegel says:
“Punishment is the right of the criminal. It is an act of his own will. The violation of right has been proclaimed by the criminal as his own right. His crime is the negation of right. Punishment is the negation of this negation, and consequently an affirmation of right, solicited and forced upon the criminal by himself.” [Hegel, Philosophy of Right]
There is no doubt something specious in this formula, inasmuch as Hegel, instead of looking upon the criminal as the mere object, the slave of justice, elevates him to the position of a free and self-determined being. Looking, however, more closely into the matter, we discover that German idealism here, as in most other instances, has but given a transcendental sanction to the rules of existing society. Is it not a delusion to substitute for the individual with his real motives, with multifarious social circumstances pressing upon him, the abstraction of “free-will” — one among the many qualities of man for man himself! This theory, considering punishment as the result of the criminal’s own will, is only a metaphysical expression for the old “jus talionis” [the right of retaliation by inflicting punishment of the same kind] eye against eye, tooth against tooth, blood against blood. Plainly speaking, and dispensing with all paraphrases, punishment is nothing but a means of society to defend itself against the infraction of its vital conditions, whatever may be their character. Now, what a state of society is that, which knows of no better Instrument for its own defense than the hangman, and which proclaims through the “leading journal of the world” its own brutality as eternal law?

Karl Marx 1853

マルクスの思想の変遷

マルクス自身は最初からのちのマルクス主義と言われる思想を持っていたわけではなく,元々は自由主義者であった。しかし、政府からの検閲が厳しく編集者時代の当初は権力に忖度して主張を抑えていたものの、ついには取り潰しに遭い、「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ…」と編集者を辞めて「再勉強」を始めた。再勉強中の彼はフォイエルバッハの「類(人間の共同性)」という考え方に共鳴した。そして後にヘーゲルの考え方に反論する形で、国家主体ではなく人間主体の体制の原理が「民主制」として帰結し、この民主制では「類」が表れると主張した。これがのちのマルクス主義の原型である。
さらに、パリに移住してからは「『ユダヤ人』は貸金業などを営む経済的階級であり宗教的階級ではない。したがって、ユダヤ人は他の市民階級が解放されて初めて解放されるのだから、まず市民階級を解放すべき」と主張し、そのためには市民階級でありながら疎外されているプロレタリアートを解放すべきだと訴えた。とはいえ、この時点でも共産主義には否定的な姿勢をとっていた。マルクスが自身の立場を共産主義と認めたのは、エンゲルスの『国民経済学批判大綱』に共鳴したためである。共鳴した彼は「労働者の生み出す価値は資本家が独占しているがために、労働者は疎外されている」と主張した。
後にパリを追放された彼はベルギーに移住したが、プロイセンの圧力を受けたベルギー当局に目を付けられていた。1845年にエンゲルスとともに『ドイツ・イデオロギー』を執筆し、「ドイツは封建主義的なので先進的なアイディアも空論になる。実践こそが重要だ。」と考えて、このような封建主義を批判して唯物史観を唱え出した。この唯物史観は、生産力の増大により人間の生産様式は変化し、生産様式の変化は生活様式の変化につながるとして、階級闘争の基盤となった。彼は、さらに、資本家は労働者に対して支払う報酬以上に労働者を搾取しているので資本は増強されるが、一方で労働者は資本家にいつまでも搾取される隷属的関係に置かれると主張している。
実践を説いた彼はベルギーで「共産主義通信委員会」を設立するが、その運営が独裁的であり批判を浴びると、批判的なメンバーを除名し早くも「民主的な独裁者」と呼ばれることになった。完全にソ連と同じじゃん
そして1848年に『共産党宣言』を書いた彼は、あの有名な言葉を世界に放った。

最後に、共産主義者は、いたるところで、すべての国の民主主義的政党の提携と強調とに努力する。
 共産主義者は、自分の見解や意図をかくすことを恥とする。共産主義者は、彼らの目的は、既存の全社会組織を暴力的に転覆することによってのみ達成できることを、公然と宣言する。支配階級をして共産主義革命のまえに戦慄せしめよ! プロレタリアはこの革命によって鉄鎖のほかにうしなうなにものもない。彼らの得るものは全世界である。
 万国のプロレタリア団結せよ!

「共産党宣言」第4章

有名な言葉は最後の「万国のプロレタリア団結せよ!」だが、その前の赤字下線部の方を見てほしい。というか、これがすべてな気がする。
彼は暴力でのみ目標を達成できると言っているのに、しかも気に入らないメンバーを排除したりもしていたのに、なにゆえ死刑には反対したのか理解ができない。
と思っていたら、こういう経緯があったらしい。
共産党宣言』を出して革命を煽ったはいいが、思ったように波及せず、彼はロンドンに移住することになる。ロンドンで貧しい生活を送りつつも、1851年から『ニューヨーク・トリビューン』(マルクスが死刑に反対する寄稿をした新聞)の通信員になり、アメリカ愛のこもった記事を書いていたようである。この新聞社は急進派で、奴隷制反対・保護貿易・女性の権利運動など南北戦争以前からアメリカ北部での世論形成に貢献した。
急進的・革新的な新聞社にウケの良さそうなものとして、死刑に反対する記事を書いたのではないかと思えてくる。というのも、彼にとって記事の原稿料は重要な収入源であったからだ。しかも、彼は後々にリンカーン共産主義の宣伝材料にしようと考えていたらしい。実際にリンカーンから書簡の返信が来たことを大々的にアピールした。リンカーンは別に共産主義マルクスには興味がなかったどころか,宣伝に使われるつもりはないと第一インターナショナルへの参加を拒否している。
なんだかんだで共産主義に好意的な土壌を広げるために記事を書いていたという可能性がありそうだなって感じがする。

ひとしきり掘った気がするからマルクスはこれにて終わり!

長者番付について調べてみた。finale

こんにちは。
今回はようやく,本当にようやく,日本のカネ持ちが所得税収に占める割合を計算してみた結果を書いていきます。
これが前回までの話です。
make-a-progress.hatenadiary.jp
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さて、今回は財務省が公開している一般会計に占める所得税収の金額と個人ブログにまとめられていた長者番付上位100人又は50人を使って計算しました。

財務省 
https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/010.pdf
個人ブログ 
ヒートの情報倉庫:5月16日のメモ
個人サイト 
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Screen/7723/06j/ba03.htm

一昨日から所得税に関してこうやって掘り下げているわけですが、昨日には日産会長のカルロス・ゴーン金融商品取引法違反で逮捕され、本日は丸源ビルオーナーが脱税で実刑判決を食らいました。タイムリーな話題ですね。二件も大きなニュースが飛び込んできました。
カルロス・ゴーンは言わずと知れた超有名人ですが、丸源ビルのオーナーについて知っている人はあまりいないのではないでしょうか。端的に言えば、「節税と脱税のギリギリを狙って国税をかわすことに生きがいを感じていた人」です。まあ今回ついには彼の「節税」ロジックは認められませんでしたが。節税のために税務署OBを雇うなどして徹底的に国税対策をしていたそうです。ものすごく面白そうで濃い人ですね…キャラ濃くなりたい。

さて、本題です。
高額納税者所得税額を計算して、その年度の所得税収に占める割合を計算していきます。グラフの数値の単位は万円です。財務省の予算年度と公示制度の申告された所得年度にズレがあるのか不明でしたので,同年度の税収と納税額で計算をしました。
何を言っているのかというと,例えば,n年度に公示された納税額がn年度所得税収に含まれるのかn+1年度所得税収に計上されるのかが不明だということです。
ご存知の方は教えてください。

2004年度

2004年度の所得税収は、財務省資料によれば14.7兆円です。そして、公示制度に記載された上位100名の所得税合計は543億980万円です。
計算してみると、所得税収全体に占める高額納税者上位100名の占める割合は約0.37%になりました。
f:id:SyuchiNikuRing:20181120210708p:plain
上位50人でも計算をしてみました。
上位50人の合計額は358億8637万円なので、なんと上位50人で約0.24%を占めています。上位50人がいかに金を持っているかがわかります。
ちなみにtop100内を上位50位とそれ以外で分けたものがこちら。
【修正】凡例のオレンジ色部分は「51-100」です。
f:id:SyuchiNikuRing:20181120213936p:plain

2003年度

参照していたサイトがなぜか上位50人くらいまでしか挙げていなかったので、上位50人で計算します。
2003年度は所得税収13.9兆円、公示された高額納税者上位50人の納税総額は297億323万円でした。割合にして約0.21%です。グラフが正しく出力されませんでした。何ゆえ。

2002年度

所得税収は14.8兆円、上位50人の所得税合計は253億4311万円でした。上位50人の占める割合は約0.20%です。こちらもグラフが正しく出力されませんでした。どうした。

最後に

実際に計算してみると、「持っている人」は持っていることが明らかになりました。カネはあるところにはあるのです。
そして彼らの所得税額を見れば収入が推測可能ですから、確かに公示されたくないという人が出てくるのも納得です。「これだけ金があって、ここに住んでいる」ということが分かれば、犯罪や寄付の強要に遭うリスクが高まるのは当然ですからね。

今回は公示された納税者の中でも申告額の大きい上位者を取り上げて富の集中化を見てみましたが、この富の集中化は財務省のレポートからもわかります。
https://www.mof.go.jp/pri/publication/financial_review/fr_list6/r118/r118_04.pdf
少し古いですがこちらのレポート48ページ以下に、

平成 23 年(2011)において 1 年を
通じて勤務した給与所得者 4,565 万人に対し
186 兆円あまりの給与が支払われ 7 兆 5 千億円
あまりが納税されたとされるが,こうした者の
うち 1%にすぎない 44.4 万人(給与額 1500 万
円以上)が 10 兆 3 千億円(5.5%)のあまりの
給与所得を得ており 2 兆円(27.7%)の税額を
納付している。

とあります。
累進課税のわが国では、金持ちほど高い税金を納めます。当然彼らも節税しているでしょうが、そうであっても一握りの人間で所得税収の多くを占めている状態が続いています。持つ者の財産は持つ者の世界でうまく回っていて、持たざる者はいつまでも持たざる者の世界でしか回せない社会が本格化しているわけです。怖い。
富の再分配に関しては資本主義の下ではもちろんのこと、社会主義の下でも達成できないことは歴史が証明しているので、とにかく稼いで稼いで稼ぎまくって富を得ないとやばぁいです。本当にやばぁい。税金払うのでカネをくれ。

長者番付シリーズはこれでおしまい。満足。
フラフラしながら帰っている最中にふと浮かんできた長者番付でよくもまあここまで色々やったなという感じですね。衝動的興味怖い。

長者番付について調べてみた。続き。

こんにちは。
前回、吐き気と闘いながら金持ち公開処刑制度高額納税者公示制度について調べてみました。
make-a-progress.hatenadiary.jp

調べているうちになぜにこんな公開「処税」制度を作ったのかと疑問に思い、この制度の起源について調べてみたところ、こんな論文がありました。
http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/17483/kbr035-1.2_02.pdf
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20181119135449.pdf?id=ART0001419756

ここにあることをまとめつつ、ついでに長者番付に載る人たちが所得税収に占める割合も計算してみました。

公示制度の起源

高額納税者公示制度、つまり申告納税公示制度は、1950年のシャウプ勧告を受けて、従来の申告者閲覧制度に代わって導入されました。
歴史的な経緯を見ていきます。

申告納税制度

公示制度は,適正な納税額の申告・納付をいわば客観的なチェックにさらすことで担保するために設けられました。申告納税制度自体は戦前からありましたが,現在のような制度は戦後に導入されました。

戦前

まず法人に対して申告納税制度が適用されました。
元々は賦課課税制度が施行されており,法人のうち,資本金500万円以上又は大蔵大臣指定のものについて課税していましたが,1945年に「所得税法外十六法律改正法律」により申告納税制度を導入しました。この法改正に伴う申告納税制度導入の意図は,大蔵省主税局「法人の申告税制度解説」にあり,

  • 賦課課税制度では法人の申告後,行政の確認と課税額決定が行われその後納付するという手順であったので,戦時中で人手不足の中では徴税に時間がかかり過ぎる
  • 空襲等により財産を焼失しては税金が払えなくなることから,申告と同時に納付させることで徴税を確実にしたい
  • 税務署側の事務の簡略化

が背景にあったようです。申告納税制度を導入したとはいえ,申告と納付を同時に行うとしただけであり,実質的には賦課課税制度でした。

戦後

GHQの改革は税制にも及び,マッカーサーの税制主席顧問レオ・チャーンが申告納税制度を導入するように強く主張したことが「チャーン氏修正案ノ概要」に記録されています。彼の主張は,財産額50万円を超える者を階級A,10万円を超える者をB,そしてそれ以外をCとランク分けした上で,

  • 納税額の計算は納税者に行わせる
  • 納税後に過不足があれば,還付又は追徴課税を行う
  • 申告をしなかった又は虚偽申告をした者には罰則を課す

という3本の柱を中心にしていました。現在の確定申告と同じルールですね。

昭和22年改正と申告納税制度

GHQ担当官ヘンリー・シャベルは「日本における所得税」の中で所得税の在り方についてこのような主張をしています。

  • 広範な基礎を持つべきだが負担となってはならない

→負担となるような高率を課すと脱税などにつながる

  • 公平であるべきだが,Ability-to-payの原則に従わなければならない

累進課税を導入するべきである

そして,この主張に基づきGHQは5つの提案をしてきました。

  • 累進課税所得税を導入
  • 前年度所得による賦課課税制度を廃止し,当年度の予定所得を申告させる予定申告納税にすること
  • 法人税についても予定申告納税にすること
  • 富裕税の創設
  • 贈与税を含む相続税法の改正

この提案はつまり,個人も法人も累進課税かつ申告納税制度を適用しようと言っているわけです。
これに対して日本側は,納税者自身が納税額を計算する申告納税制度は日本人にとって馴染みのないものであり導入は時期尚早だと抵抗を試みました。さらに,GHQから要求された第三者通報制度についても,できる限り導入しない方向に抵抗しました。
しかし,最終的には導入に至りました。その理由は,

  • インフレによる財政支出増大のため,賦課課税制度による徴税では歳出額を賄うことは困難
  • GHQに押し切られた
  • 人手不足により賦課課税制度を維持できない

の3点です。導入された申告課税制度では,一事業年度ごとの決算に基づいて確定申告をするよう義務付けられました。
ここに現在の確定申告をはじめとする税制の原型が誕生しました。

三者通報制度

日本が導入に抵抗感を示した第三者通報制度は,申告額が実際の額より低いなど不誠実な法人の申告を発見した者が税務署長に通報できるとした制度。通報者に対して報償金が支払われました。その金額は,上限を10万円として,本来徴収すべき法人税額の10%です。
嫌いだったらまあとりあえず通報するよね
実質的にはいいがかりの密告制度を採用してしまう美しい国ニッポン

申告書の閲覧制度

納税者自身が計算した納税に係る申告書を公開する制度が申告書閲覧制度です。一定の手続きを経れば,法人が提出した申告書を閲覧できるというものです。第三者通報制度を補完します。クレーマーと言いがかり屋さん生産制度を採用してしまう美しい国ニッポン

申告納税制度導入後

税務署が大パニックになりました。理由は簡単です。

  • 税務署側の準備が整う前に制度施行を迎えた
  • 職員を増員したものの,付け焼き刃的対応だったため,職員が制度をよく分かっていなかった
  • 納税すべき者が急増した

→制度施行初年となる1947年は830万人が納税者となったが,この数字は前年の2倍強。

  • 税務署の信用がなさ過ぎて過少申告のオンパレード

→1948年では納税者の70%が更正処分等を受け,追徴課税額は申告された所得税収入の55%オーバー。もはやギャグみたいな数字ですが,ぜひ紹介に挙げた論文を読んでみてください。
なぜこんなことになったのかというと,新制度で税務署の判定基準が分からず,仮に正直に申告したとしてもその申告額を基準に更生処分を喰らってアホみたいに金を持っていかれるかもという思いが納税者側にあったからです。ただでさえ税務署は大して信用できないのに,さらに当たり判定も不明瞭ということで,更生処分の基準となる申告額は少なくしておこうという防衛策をとったわけです。

シャウプ勧告青色申告

公示制度の(直接の)起源であるシャウプ勧告のお話です。シャウプ勧告は戦後日本の税制に大きな影響を及ぼしました。ちなみにシャウプ勧告は,シャウプ使節団日本税制報告書の通称です。そして,この報告書の中で,青色申告制度と高額所得者公示制度(納税額公示になるのは83年から)を税制改革で導入するように勧告しました。
この当時,個人は言うに及ばず,法人もまともに帳簿をつけていたとは言えない状態にありました。闇取引などにより,表に出せないものが多かったこともあり,あえて帳簿をつけなかったのです。これは過少申告のオンパレードの一因にもなっていました。
シャウプは勧告の中で,
「もし、税務行政が成功することを望むならば、このような納税者の大多数が自発的にその仕事の正当な分前を担当しなければならない。同時に、政府はその信頼を裏切り虚偽あるいは不正な申告をした納税者に対しては厳重に法律を適用することをこのような大多数のものに、保証しなければならない」
と述べました。そして,累進課税制度の維持(最高税率は引き下げた)や富裕税創設(53年廃止)が行われるなど,この勧告を反映した税制改革が行われました。
また,シャウプは過少申告のオンパレードの原因を,税務署がろくに調べず恣意的に見える方法で徴税を行っているため誠実な申告という納税者の協力が得られておらず,一方で納税者の協力が得られないために徴税がこのようなやり方にならざるを得ず,負のスパイラルに陥っていると指摘しました。このスパイラルを脱却するために提案されたものが「青色申告用紙」であり,青色申告では資産および負債に影響する全ての取引を記録するなど規定要項を満たした場合,税務署は課税標準又は欠損金額に誤りがある場合に「のみ」更生等の処分を下せるものとし,見込み課税を行っていた従来よりも納税者の権利が保護されることになりました。要は誠実な申告をした納税者には手を出さないよというアドをあげようということです。そしてこれを規定した法律が1949年12月15日「所得税法の臨時特例等に関する法律」(法律269号)です。

青色申告制度導入後

法人は50%が青色申告をしていたのに対し,個人は5%に過ぎませんでした。法人は会計帳簿が整っていましたが,青色申告をしなかった個人は,申告に合わせた帳簿がわからない(23%)・様子見(18%)・記帳する余裕がない(17%)などの理由で申告をしませんでした。

その後の申告納税制度

青色申告制度を軸にした申告納税制度が何だかんだで定着しました。
なお,富裕税は53年に,第三者通報制度は54年に,そして高額納税者公示制度は2005年に廃止されました。
しかし,いまでも青色申告制度は存続していますし,累進課税制度も存続しています。また,特に国税に関しては,国税通則法という国税に関する一般法が制定され,更正などの手続きや脱税等に対する罰則を定めています。

ちなみに

なぜ「青色」申告なのでしょうか。桃色でも紫色でもいいじゃんと思いませんか?調べてみたところ,こんな話があったそうです。真偽は知りません。
シャウプ「好きな色は?」
日本人「青」
シャウプ「なんで?」
日本人「晴れ晴れ爽快スッキリな感じじゃん?」
シャウプ「うーーーーん,じゃあ真面目な納税者は青色の申告用紙にしようw」
…だそうです。
http://www.kamata-aoiro.or.jp/blue/report.html
もしシャウプに尋ねられた日本人が桃色や紫と答えていたら,妖しい申告用紙になっていたのかもしれませんね。夜の仕事感
今は青色申告という名前こそ残っていますが,用紙は青くないそうです。

長くなったので,長者番付になっている人が占める所得税収内の割合についてはまた今度書きます。